人生は壮大なネタ作り

日頃考えていることを文章にしています。ごく稀に更新します。

論語と女性差別

 お久しぶりです。今回は論語という書籍が明らかに持たれている誤解を晴らしたいと思います。

 

 僕が最初に論語を読んだのは中学校3年生のとき。あのとき以来、論語は辛いときの心の支えになってきました。東洋人の精神構造の根底にあるのはこの書物なのでもっと読まれたらいいと思うんですが、世の中の人想像以上に論語を読んだことがありません。他の諸子百家はともかく、論語ぐらいは読んでもいいと思うのですが…

 

 しかし、その論語。「女性差別をしているから嫌い」という根も葉もない理由で嫌っている人に出会って衝撃を受けました。誤読にも程があるんじゃないか…論語のどこに女性差別的な文章があるんだ…というより多分読んでいないんだと思います。

 

 しかし、少し考えたら「論語儒教朱子学=封建秩序=女性抑圧」というイメージが、学校教育で刷り込まれているのかもしれません。ああ…そもそも論語儒教は結構別物だし、その中でも朱子学というのは一つの学説で、しかもそれが支配者にうまく利用されただけなんですがね…

 

 それこそ江戸時代とか昌平坂学問所(幕府の公認の学校)では朱子学しか教えちゃいけないことになりましたが(寛政異学の禁)、在野で盛んだったのは性即理(簡単に言えば秩序を大切にする)を唱えた朱子学ではなく、心即理(簡単に言えば心を大切にする)を唱えた陽明学です。実際幕末の有名な志士たちはこの陽明学を大切にしていました。

 

 そもそも朱子学陽明学孔子が生きていた時代から2000年もあとの解釈です。もちろん学問としては重要なのかもしれませんが、論語そのものとは相当かけ離れています。例えば腐敗したカトリックと聖書が別物になってしまったといってプロテスタントが出てきたように、原典の文章と後の学説が離れてしまう(と言われる)場合もあるんです。しかも、儒教が大切にするのは四書五経のなかでも五経だったりして、論語孟子は子供が学ぶ入門編のようなものです。

 

 つらつら述べてきましたが、とにかく「論語」が人々を抑圧するような文章ではないことはおわかりいただけたんだろうと思います。もっと虚心坦懐にこの文章を読むべきです。「義を見てせざるは勇なきなり」「己の欲せざるところ人に施すことなかれ」小さい頃に聞いたことがあるはずです。この文句を否定できる人いますか?いないはずです。こういう否定できない道徳が書かれているのが論語だし、その本質が人間の抑圧であるわけがありません。

 

 女性差別的なものがあるとすれば、膨大な論語の文章の中で、「女子と小人とは養いがたし」(陽貨第十七の二十二)ぐらいでしょうか。これは時代柄仕方ないのではないでしょうか。むしろ、「賢を賢として色を軽んじ」(学而第一の七)ようにきちんとした互いへのリスペクトを2500年前の男性に求めていたぐらいなので(そりゃ現代の価値観から言ったらあまりにも不足だが)どちらかというと女性に優しい文章とも言えるのではないでしょうか。