人生は壮大なネタ作り

日頃考えていることを文章にしています。ごく稀に更新します。

僕にとっての日本

 「我が国とはなにか」という議論がこれほど巻き起こる国もないと言われ続けてはや何年でしょう。他国であればもう少しわかりやすいんでしょう。特に革命や独立していたり、他国から侵略されている国はわかりやすいはずです。あ、日本以外みんなそうか。

 

 僕は、訳あって、自分の好きな日本というのが何なのか、真剣に眠れなくなりながら考えなければならない時期がありました。そのときにぼんやり浮かんだのは、安心感です。

 

 そりゃ、祖国なんだから、安心するのは当然だろうという議論があるのはわかりますが、これは、日本を訪れた外国人にも共通する感覚なのだそうです。治安もそうなのかもしれません。製品の質もそうかもしれない。サービスもそうかもしれない。わかりません。とにかく、この国の国境の中にいればなんとかなる、性善説を貫き通しても絶対損しないという感覚です。

 

 これはヨーロッパ旅行に言っているときには感じなかった感覚でした。とくにイタリアにいるときには身の危険を感じました。なんというか、なにをするにしても性悪説で食って掛かって間違いないという地域でしたね。ところが、日本国内にいる場合には性善説で通したほうが、変な取り越し苦労をしないという意味で得なのではないかと思います。そういう地域はなかなかないのではないでしょうか。

 

 それはなんとなく幕末の文章を読んでいるときも同じような感覚があります。150年前のこの人たちのほうが現代のヨーロッパの人たちより近い感覚を持っている気がする。ただ、戦国時代の日本人とは全く違う人種な気がするんですよね。彼らは荒々しすぎる。親近感を感じるのは綱吉以後の泰平の世を経たあとの日本人。

 

 どんどん世知辛い世の中になっていくような雰囲気がしているなかで、この安心感だけは次の世代に引き継いでいけるような風にしていきたいなと思います。性善説で生きている方が楽だもん…