人生は壮大なネタ作り

日頃考えていることを文章にしています。ごく稀に更新します。

世代間の価値観

 ストックがなくなってきたので、毎日投稿できるかわかりません…ごめんなさい。

 

 どうにもならない世代間の価値観の違いというのは残念ながら存在しています。僕はそれをいつも感じています。しかしながら、それ自体問題にならなければ大したことはありません。

 

 問題は、それが社会のあらゆる分野において表面化してしまっているということです。社会の変化が特にソフトの領域において加速度的に変化している中にあって、5歳も年齢が違えば価値観もだいぶ変わるという時代になってきてしまっています。しかも寿命はどんどん伸びている。80歳の人が全く珍しくない世の中になってきました。

 

 多くの人が言っていますが、少子化は問題でありながらも、高齢化は喜ばしいことです。多くの人が長生きできるようになった、それ自体何一つ悪いことではありません。ただ、年少者が年長者を支えるというモデルが全く機能しなくなってきているというだけなのです。

 

 そこにおいて、若者と高齢者の間に大きな価値観の差が生まれた。それはそうです。サンフランシスコ講和条約より前に生まれた世代とポケットモンスターより後に生まれた世代の価値観がそう簡単に合うものではありません。そして今の子どもたちはスマートフォンの誕生後に生まれている。

 

 なによりも、若者と高齢者が触れる情報がネットとテレビに分断され、かつネットの情報スピードは加速し続ける一方なのに対してテレビは昔通りなのです。僕はいまテレビを所有していないので、普段動画はネット上にあるものしか見ていません。

 

 動画編集の質、人気クリエイターの興亡、チャンネル登録者のインフレ、サムネの変化、他のSNSとの連携。ネット動画の進化は日進月歩な中で、たまに実家に帰省してテレビを見ると昔と何も変わらないテレビの状況に驚きます。当然といえば当然なんですけどね。

 

 高齢者が敬意を持たれてきたのは何よりも高齢まで生き残れる人はそうそう多くなかったから。しかも子供は相対的に多くなかった。少ないほうが重宝されるのはどこの世の中においてもそうだと思います。いまみたいに20歳と80歳の人口が変わらないなんてことはあり得なかったんです。

 

 もう一つは、高齢者の持つ知恵というのが極めて重要な役割を果たしてきた。たとえば小さな村の中で、あまりにも食物が取れない年、唯一村の高齢者が、小さい頃の飢饉で食べた草の種類を覚えていて、村が飢えを免れた、なんてことは昔はあったんです。

 

 ところが、いまはどうか。そんな経験に頼るよりもググったほうが圧倒的に早いんです。そしてそっちのほうが正確な情報が得られる。体験談が聞きたいならTwitterで検索すればいい。

 

 要するに、高齢者が存在することの実益が若者にとって小さくなってしまったんです。そして逆に高齢者を支える負担の方はどんどん増している。これが「嫌老社会」になってしまった理由です。

 

 高齢者が今なすべきことは情報のアップデートです。時代の情報の波に自分も揉まれてみること。その中でようやく若者と同じ世界で生きていくことになる。今のままだと同じ世界に生きているようでいて生きていない。そして若者の側も日和らないことです。今や自分たちが少数派なのです。声を大にしてもテレビは取り上げません。ボリューム最大にする。そうやって世の中に発信して変えていかないと、20年後、今、生まれてきている子どもたちが成人する頃、彼らが生きる世界と現実世界の乖離はこんなものじゃなくなります。うん。

 

 ではまた!