人生は壮大なネタ作り

日頃考えていることを文章にしています。ごく稀に更新します。

皇室について

 先日、大嘗祭の中心儀式、大嘗宮の儀が無事に行われました。様子はYoutubeにあがっているので、ぜひご覧になっていない方は一部だけでもご覧ください。

 

 今年は即位に関する一連の儀式を国民が目にすることも多く、また改元もあったため、皇室及び天皇に関する議論がたくさん沸き起こりました。その中で自分が考えていることを少し書きたいと思います。

 

 まず、私は皇室がこの国にとって大切であるという立場の人間です。ではそれはなぜかと聞かれれば、皇室の存在がもたらす、権威と権力の分立が、日本の議会制民主主義の発展に不可欠だと思うからです。

 

 皇室がない民主主義だと何が起きるかといえば、選挙で選ばれた民主的リーダーが民意という権威を背景に権力だけでなく権威まで持ってしまう、ということです。民意と選挙の他に権威がないから。一番わかりやすい例を上げるならば選挙で大勝して権力を握ったアドルフ・ヒトラーです。彼は民意によって権威を得た。僕は住んだことがないので勝手なことは言えませんが、アメリカにおける大統領も権威があり、尊敬される対象と聞いたことがあります。

 

 翻って日本の内閣総理大臣は権威を持っているか。これは考えなくてもわかります。NOです。そりゃ永田町と霞が関のなかでは権威があるかもしれないけど、一般社会に対してはほとんど持っていないです。むしろ歴代総理はその在任期間中、軽蔑の対象とされる場合のほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。他国に比べて総理が(議院内閣制でなかった戦前含めてすら)コロコロ変わりやすいのもそんなところに理由があるような気がします。

 

 このように権力者が権威を持っていないことは、政権に対する批判がしやすいという点において、民主主義の健全な発展に資するのではないでしょうか。女王を戴く英国が議会制民主主義を発展させた理由もわかるような気がします。権威が別にある間においては、絶対的な独裁者が出ない。その意味で権威と権力を分立させてきた藤原摂関家以来のこの国の統治の伝統に深い意味を感じます。

 

 もう一つ、僕はお神輿としての皇室が存在していること(表現が極めて失礼であることを深くお詫びいたします)に、僕は意味を感じます。これは、わかりやすいと思います。つまり、僕を含めて一般大衆はロイヤルファミリーがいた方が、国民としてまとまりやすいのです。お祭りで人々をお神輿がまとめているのと何ら変わりません。

 

 この国が危機に陥った時、天皇陛下のお言葉があればこの国はなんとかまとまれます。終戦直後も災害時もそうでした。日本人は同質とは言うものの、アメリカみたいに宗教やイデオロギーが一致している国では全くないので、実のところ他に国をまとめるものは皆無です。しかも災害が多いので定期的に国民がまとまる必要を迫られる時があります。

 

 以上、権威ひいては天皇がこの国に必要な理由を述べてきたように述べてきました。では、権威は天皇でなければならないのか。僕は別に違ってもいいとは思います。しかし、日本の有史以来、文字がなかったときから存在しているおかげで成立過程も謎に包まれていて、公式には2600年、おそらくは少なくとも1700年以上存在している「天皇」よりも権威にふさわしいものってあるのか甚だ疑問です。多分、ない。

 

 日本史において、天皇という存在は統治環境にはじめから存在している、所与の条件です。他国の王室であれば、王室が変わった事例が英国含めて当然のようにあるし、それは武器を使った侵略というあまりにも世俗的なものから始まっている。世俗的な歴史があれば、王に対する尊敬心というのは少し薄れるものです。

 

 ところが日本の天皇の場合ってそういう、統治者が変わった事例、探してもせいぜい「出雲の国譲り」になってしまう。全然世俗的でない。記録としては神話の中にしかない。歴史の中で疑いもなく当然のようにはじめから存在している権威。これほど権威にふさわしいものあるでしょうか。これが僕が、天皇こそ権威にふさわしいと思う理由です。

 

 ところで、歴代天皇の権威っていうのはどこまでいっても血統です。いま、皇室の後継問題について色々言われてますよね。保守派は男系(父系)にこだわり、リベラルな人たちは女系でもいいという。関心のある人たちが論壇で熱く戦っているんですが、世の中の多くは女系天皇女性天皇の違いもよくわかっていない。女系男子とか男系女性とかいうの、世の中の多くにとって少し難しいといえば難しい。あまり詳しくない方はこの機にググってみるといいと思います。こんなの知らないほうが普通なので知らないこと自体は気にしないほうがいい。

 

 ちなみに僕は男系をまだ維持すべきだと思います。結婚する人の9割が男性の名字を選択するような世の中で、いきなり皇室だけ変えてもハレーションしか起こらない。それこそ、女性天皇の婿となる人に対する「道鏡」バッシングは絶えないに決まっています。そしたら女性天皇とだれも結婚したがらない。そもそも血統が権威の唯一の土台なんだったら、そこを変える必要はないと思います。

 

 社会の大半が婿入り婚だった古代ですら、名字が当たり前のように別々だった中世ですら、例外なく男系は守られてきたんです。しかも少なくとも継体天皇以来1500年ほど万世一系は続いている。これをあえて破る緊急性はどこにもないと思います。他国の批判に対しても、ローマ教皇やカリフに女性がいないことを引き合いにして反論すればいい。そんな風に僕は思っています。

 

 最後に、「政教分離」について。これは反論があるだろうな、と思いつつ書かせていただきます。

 

 今回の大嘗祭政教分離について話題になりました。政教分離に抵触する可能性があるから国事行為としてでなく、皇室の公的な行事として行うと。詭弁だと思います。別に皇室予算だって税金で賄っている。そんなことよりも、皇室の儀式は憲法政教分離規定に設けた例外として捉えるほうがいいような気がします。

 

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

 十 儀式を行うこと。

 
 これが、憲法7条に記載されている、国事行為における「儀式」です。ここで僕思うんですよね、天皇の行う儀式に宗教が関わらないものなんかあるかと。あるわけないんです。そもそも天皇というのは古代から祭祀の中心として権威を持ってきた存在で、今でも神主さんたちの頂点に君臨するお方です。

 

 その、天皇に儀式を国事行為として認めたということは、この条文が天皇の儀式を憲法における政教分離規定の例外としている、と考えてもいいと思うのです。だいたい、日本国憲法は人権規定よりも天皇の章が先です。そして、大嘗祭なんてのは儀式中の儀式。これが儀式じゃなかったら一体なにが儀式なんだと。保守派の人たちも、変に憲法を無視して政教分離なんかより伝統が大事だ!なんてことを主張するばかりじゃなくてこうやって条文からその意味を汲み取る作業をしたらどうなのかと思います。

 

 とはいえ、憲法を専攻されている方からすれば、お前のような無学が何を言ってるのか、と思われるかもしれないので、反論コメントお待ちしてます。

 

 僕は現代の日常の価値観に関しては結構リベラルな方だと思います。年上の方の価値観に全くついていけないことがいつもある。ただ、読んでいただければ解ると思いますが皇室に関してだけは結構な保守派です。権威って保守的でこそ生まれると思うから。皇室を大事にするリベラルな人って正直少ないからいつも孤独です。同じ考えの人がほしいなぁ笑

 

 それではまた!