人生は壮大なネタ作り

日頃考えていることを文章にしています。ごく稀に更新します。

尊皇攘夷

 明治維新。世界的に有名な事象です。近代国家を作るという意味に置いて、我が国はアジアの他国に比して100年ほど早くそれを成し遂げました。なぜ明治維新が可能だったのか、という議論は当時も、今日も続けられています。今後も続けられるんだろうと思います。

 

 その明治維新が、どんな意味で他の地域と特異だったかといえば、それは明らかに西洋文明の吸収のスピードと過激さです。古来世界を見渡してみても、これほど極端に風俗を一変させてしまった社会というのは後にも先にも明治維新だけなのではないでしょうか。それぐらい、他文化を急激に吸収しようとし、実際にした。

 

 しかし、その明治維新。なにを旗印に行われた革命だったかといえば、「尊皇攘夷」でした。つまり、極端な排外主義です。これほど極端な排外主義もまた、他国の歴史に存在しないのではないでしょうか。極端な排外主義が極端な文化受容をもたらした。これは歴史のおもしろさです。

 

 このあたりについて、司馬遼太郎が「花神」の中で触れています。「尊皇攘夷」を掲げる薩長軍が西洋式の制服を着て、ミニエー銃を担いで進軍する様は奇妙だと。まさにその通りです。一方で、ただの開明主義では世の中を沸騰させるようなエネルギーは起きず、攘夷思想あって初めて革命が可能になるというふうにも書いています。

 

 この辺が、理屈や学説と違う、政治のおもしろさなんだと思います。本音と建前があり、実際に物事を動かすための力学がある。その中で自分の思う道を実現していく。現代の政治家もそんなことを考えていたりするんでしょうか。

 

 排外主義とは言いませんが、社会と技術の強烈な変化によって、時代に取り残された人々の憤懣が世界各地で溜まっています。それが、トランプの大統領選あたりから可視化されてきました。エリート的なものを嫌う人たちです。気持ちはわかるし、これまでのエリート側の振る舞いに問題があったのでしょう。社会は分断されてしまいました。

 

 今もまた、社会と技術の変化をきっかけに人々のエネルギーが増加しています。これが限界点まで達した時、もっと大きな政治的変化が起こるのかもしれません。「ブレクジットとトランプは始まりに過ぎなかった。」こう言われる日も近いのかもしれません。