人生は壮大なネタ作り

日頃考えていることを文章にしています。ごく稀に更新します。

法と勧善懲悪

僕が大学に入って最初に教わったことは、法の正義とは勧善懲悪ではない、ということでした。正義すなわちjusticeはfairという意味に近く、どちらかというと法の衡平という方が正しいということを学びました。これにはびびっときました。それはそのはずです。ぼくは大学に入る前、法学部を志望しながら、法の正義というなんか怪しい言葉に不信感を抱いていました。

 

そして法理学を学んでみると、まさに「法とはなにか」の世界なわけです。そしてなんと、この世の中に強制力を持って働いている法というものの正当性はいまだに断定できない。いよいよ面白いと思いました。その中で、法というのフィクションで、世界史の中で社会を回していくために生まれてきたものであって、その中で正当性を見つけるのが本当に難しいということを肌で感じました。

 

しかし、世の中全員がこういう考え方になったらどうなるんでしょうか。たぶんそれはそれで問題です。つまり、「なんで人を殺してはいけない」「なんで法を破ってはいけない」ということみんなが考え始めると問題ということです。多分、法律を少しでもかじったことがある多くの人は、人を殺すのが悪いことだ、という価値観ですら絶対的なものではないと感じているのではないでしょうか。その中で、世の中を回すにはとりあえず道徳と切り離して法律を運用すべきであると。実際、裁判官は死刑を宣告することは出来ても、謝罪を強要することはできません。

 

しかし、世の中一般の人は違法=悪いことだと思っているわけです。つまり、道徳と法律をつなげて考えている。道徳と法律はなんとしても切り離さなければいけないというのはケルゼンという人が言いました。

 

ただ、違法でも悪いことだとは断定できないということになると、実際の刑事実務どうにもならないんだと思います。実際に更生や反省によって司法実務が変わってくるのが実際です。この考え方突き詰めていくと、更生とはなんぞやという話になってきますもんね。